佐伯一麦の 私が出会ったことば(32)
「流行作家なんかになってほしくないんで。こういう表現の場でね、静かな戦いというか、静かな怒りのようなものをね、これからの作家活動の中に押し込みながら続けていってほしいなと思いますね。」
菅原文太氏のラジオでの発言
アスベスト禍をめぐってのノンフィクション『石の肺』を上梓した二〇〇七年に、「日本人の底力」という菅原文太氏のラジオ番組に呼んでいただいた。
スタジオの控え室の戸口に立つと、奥の、背の高い革椅子に座った菅原氏が、裃(かみしも)ふうのベストを羽織った出で立ちで笑顔で迎え入れてくださった。映画青年だった高校生のときに観た『仁義なき戦い』『トラック野郎』のスクリーンで接してきた銀幕のスターの存在感は、やはり大したものだった。
地元紙の記者だった父上や、高校の新聞部の一年後輩だったという井上ひさし氏の思い出話などを伺った後、スタジオに入り収録を開始した。話題は『石の肺』が中心で、新聞記者志望だったという菅原氏が、社会問題にも大きな関心を払っており、日本の行く末を本心から案じていることが伝わって来た。
対談が終わると、「内容が内容だけに、本番中の菅原さんは厳しい表情でしたが、本番前後のあんな優しそうな表情は初めて見ました。同じ高校の後輩を気遣っておられたのでしょうね」と番組の担当者が言った。後日、菅原氏が力強く味わいのある字で〈大西郷〉とラベルに揮毫(きごう)した芋焼酎が届けられ、それはすこぶる美味だった。
二〇一四年の晩秋に菅原氏は亡くなったが、ラジオ番組でかけていただいたその言葉には励まされ続けている。
「佐伯一麦の私が出会ったことば」は、年度末に発行している「佐伯一麦とエッセイを読む、書く」講座記録集(550円)でもお読みいただけます。